narita narita narita
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Kou Narita 成田 康さん 画 家
http://www7.ocn.ne.jp/~y-narita/ko_narita/

小坂線沿線の風景を描いたことから、自分自身に内在していたものが引き出され、
具象の油彩画を制作するリズムが生まれたという。
「原風景」が誘う、デジタルとアナログの融合世界。心の奥底に眠る風景が、
デザイナーを画家へと導いた。

 原風景、という言葉がある。
 「一面に広がる田んぼのなかを、小坂鉄道が走っていく。それが、自宅の部屋の窓から見えた」
 子どものころ眺めた、田んぼと小坂線の鉄道の風景。原体験から生じる数々のイメージのなかで、心によみがえる風景が持つ力は大きい。
 「線路を走る音が聞こえて窓から田んぼを眺めれば、小坂線の貨車が一直線に駆けていく。ここは盆地だから、山に囲まれたこの世界が、子どものころの世界のすべて。貨車が吸い込まれて消えていくあの山の向こうには一体何があるのだろうと、いつも思って眺めていた」
 人生の岐路に立ったとき、子どものころ眺めた景色を思い出すことのできる人は幸せだ。時は流れ、かつての風景は変わったが、心に焼き付いたその風景がやがて画家へと導くことになる。


肌で感じた風景描く

 ベルギーの古都・ブルージュを描いた油彩画。厳かな鐘楼や寺院、修道院の見える風景と、運河の流れのそばにレンガ造りの建物がそびえる街並み。フランスやベルギーを訪れた今年の取材旅行での風景に、コンピューターでイメージを広げ、細やかな手描きの表現を織り込んだ作品群。デジタル的な鋭さのなかに、一筆一筆のタッチが醸す光と陰影がやわらかい。
 「デジタルは、ひとつの風景を絵画として助長できる。作品のイメージを作るには現場でスケッチを何度も繰り返すのだが、その作業をパソコンの画面上で行う。いわば、パソコンでのシミュレーション。でもデジタルだけでは、どうしても冷たい。絵筆を走らせながら、取材時に現場で感じた風景が持つ独特の雰囲気を再現する」
 たとえば、2001年制作の「アムステルダムの夕暮れ」。取材時にデジタルカメラで撮影した画像には、日が沈んで薄暗い街並みが見える水辺に一隻の船が漂っている。もう一枚の画像は夕暮れの風景。沈みかけた太陽がオレンジ色に輝き、かすかに波打つ水辺を照らしている。取材先の画像にこの夕暮れの画像を合成してイメージを作り、絵筆で描き、完成させたのが、夕暮れの光が水辺の街並みを照らすこの一枚だ。同じく2001年制作の「プラハ城夕景」も、異なる二つの画像を合成して作ったイメージをもとに描いた作品。少し角度を変えて撮影した風景の画像をパソコンの画面上で重ね、現実とは異なる景色を作り出した。デジタルによって実際とは印象の違う風景が作られ、プラハ城と街並みの優雅なたたずまいはそのままに描いていく。コンピューターでイメージを完成させるからこそ、取材時に肌で感じた印象が大切になる。
 「だから、時間を作って、取材に行く。風景を体で受けとめて、その空間を肌で感じる。その場所が持っている何かを大事にしたいから」

コンピューターの世界へ

 現代美術に取り組んだ大学卒業後は、数多くのアルバイトをこなしながら友人4人とビル5階のワンフロアを使ってアトリエを設けた。絵画や彫刻などのジャンルに限らない作品や環境を総体として呈示する空間構成(インスタレーション)を続けていたが、1990年、マッキントッシュと出合ってからはコンピューターの世界にはまることになる。
 「学生時代は地図をテーマにしたシミュレーションの作品づくりをしていたが、マックにはまるうちにコンピューターで仕事をしたいと思うようになった。それで、デザインの世界に飛び込んだんです」
 1992年デザイン会社に入社後は、2001年までグラフィックデザイナーとして活動する。いずれは独立して創業しようと、パンフレットなどのデザインだけでなく、企画、営業、取材なども経験。徹夜続きで自宅に帰られない日が多く、仕事に追われる日々のなかで気づいたのが、「やりたいと思っていたはずの自分の表現からずれてしまった」こと。会社員としての生活が「自分らしくない」と思いながらも、おもしろさから仕事を続けるなかで徐々に芽生えたのが絵画というアナログへの懐かしさだった。「その時の自分は、コンピューターを使うというより、コンピューターに使われていた感じ。できあがったデザインを、素直に自分の表現とは言えないと思った」
 故郷の小坂鉄道が廃止になると聞いたのは、そんな時だった。

原風景との再会から画家へ

 成田さんが描くのは、訪ねた場所をスケッチする「点」の作品ではない。線路や街道、運河といったキーワードに沿って歩いた取材旅行を「線」と化し、コンピューターで加工した風景を絵筆で仕上げるスタイル。小坂線、花輪線、五能線などひとつの「線路」や、海や運河などの「水辺」に沿って歩く取材旅行が基本となる。
 「地図を広げれば、そこには太い線で国境があり、フランス、ベルギー、ドイツなど固定観念化された国が横たわっている。でも、線路や街道などの『線』に沿って土地を歩けば、いつの間にか国境を越えてつながっている。行政区分を取っ払い、見方を変えて眺める風景が『LANDSCAPE(ランドスケープ)』。風景画という意味だけでなく、そういった広い見方に立ったキーワードです」
 そんな成田さんのスタイルが確立したのは、「原風景」との再会からだった。一緒にアトリエを開いた仲間だった裕子さんと結婚した1995年、子どものころの「世界のすべて」だった田園風景を走る小坂鉄道が廃止になると耳にした。「田んぼの向こう、山の向こうに消えていく貨車の風景は、自分にとっての『原風景』。なくなってしまう前に、その風景をどうしても描きとめようと思ったんです」。そして、グラフィックデザイナーとしての仕事のかたわら、年に数回は大館に戻り、沿線風景の取材・制作を重ねる生活が始まった。96年には美術の教師だった父との親子展「LANDSCAPE〜風景展」(大館市立中央公民館)、その半年後には初めて個展「LANDSCAPE2」(正札竹村)を、97年からは年に1回、秋田市のギャラリー杉で個展を開き、その後も神戸などで開催するなど、画家としての活動が本格化した。
 「沿線の風景を描くうちに、線に沿って風景を見ていくという自分のコンセプトが気に入った。コンセプチュアルなことに、心を動かされるんですよ」


新たなテーマは「街道」

 小坂線沿いを歩くことから始まった沿線シリーズ。土に還っていくような感触がある小坂線、風化していくような乾いた世界がある五能線、北へ向かうイメージが本能的に好きだと感じる奥羽本線…。そこには、放置された貨車や積まれた枕木、橋やトンネル、山々といったモチーフがあった。取材旅行を基本として描く対象は、十和田湖や奥入瀬、角館、函館、小樽など東北・北海道の風景や、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツなどヨーロッパの風景にもつながり、個展を重ねている。画廊に訪れる人々との会話からも、自分の興味が次へ、次へと広がっていく。
 「郷愁を感じる風景や人物を描くアメリカのアンドリュー・ワイエスが好きだったが、今は十七世紀のオランダの風俗画家ヨハネス・フェルメールに憧れる。何層にも絵の具を重ねた上に描くタッチには、重厚感が漂っている」
 成田さんの作品も最近、タッチが変わったという。近年はやわらかな油彩の風景画に、調合を工夫したオイルを使い、タッチをより立体的にして重厚感を持たせている。小坂線と再会する前も具象の絵画は描いていたが、なぜか長続きせず完成まで持っていけなかったという油彩画。それが、小坂線を描いたことで自分自身に内在していた何かが引き出された。「描く対象にも、描き方にも、確実に自分のリズムが生まれてきた」という。
 まだ、風景画から離れる気持ちはまったくない。「決着がついていない」と思うからだ。ただ、メディアを変えること、視点を変えることで「自分から引き出されるものがあるはず」と、表現方法を変化させることに気負いなく自然体でのぞむ。
 そしてこの夏、これまでの「線路」や「水辺」から離れ、新たなキーワードとしたのが、「街道」。昨年、ドイツのロマンチック街道を歩いたことで思い立った。ドイツという異国と羽州街道とを取材して歩き、この秋「欧州の街角と羽州の街道」として個展を開く。そこには国境も、県境もない。「LANDSCAPE」の概念は、知らない土地の地図を開くかのようにどこまでも広がっていくだろう。

(2003.9 Vol42 掲載)

なりた・こう
1965年大館市生まれ。1987年東京芸術大学美術学部油絵科卒業。1992年デザイン会社(東京都)に入社し、2001年までグラフィックデザイナーとして活動。1995年から小坂線、奥羽本線、五能線などの沿線シリーズや、秋田・東北の風景、ヨーロッパの風景を描いた油彩画を発表。取材旅行を重ね、画像をコンピューターで加工することでイメージを練り上げ絵筆を持つ。大館市在住。