田んぼの雪景色が続く大仙市協和。豊島ヴァイオリン製作工房には、オイルニスの瓶や刷毛、ヴァイオリンの型板、大工道具のようなさまざまな道具が並ぶ。
 作業台の正面に貼ってあるのは、20世紀を代表するヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツの写真。ヴァイオリンを手にした精悍な姿で、揺るぎなく、静かにそこに立つ。そのヴァイオリンから、どんな音が響くのだろうか。


音色に惹かれて

 サラサーテの名曲「ツィゴイネルワイゼン」。ヴァイオリンの重厚で悲しげな旋律が鋭く激しく、心を揺さぶる。
 「ハイフェッツが弾くツィゴイネルワイゼンを聴いたのがすべての始まりです。その音色をレコードで聴いたとき、ピピッときて…」
 ヴァイオリニストの巨匠が弾く神懸かり的な演奏と音色に心を奪われた少年は、いつしか音楽のとりこに。姉にヴァイオリンを買ってもらった中学1年のときから、独学でとにかく音と向き合った。高校のころに聴いたラヴェル作曲「弦楽四重奏」のヴァイオリンの音色も忘れられない。寝ても覚めても、ヴァイオリン漬けの生活だった。高校卒業後、公務員になったのもそのためだ。「景気のいいときでしたが、公務員なら午後5時に仕事を終えてもいいと思った。市民オーケストラで弾いたり、勤務先だった秋田大学の先生のお宅で教わったり、夢中でした」と振り返る。
 転機が訪れたのは30歳のころ。それまで脇目もふらず弾き続けてきた人生にふと不安を覚えたのだ。
 「いくらヴァイオリンを練習しても上手にならなくて、だんだんむなしい気持ちになっていました。その頃、ある人から楽器には修理の世界があることを聞いたんです」
 偶然の出会いから生まれた縁が、思ってもみなかった方向へと舵を切るきっかけとなった。
 「楽器修理の世界ではイギリスが伝統的に優れていることを知り、エド・スミス氏という優秀な修理職人の名前を聞かされました。『その人に紹介状を書いてあげようか』ということになった。弾くのは上手にならなかったけれど、もしかしたらこれまでの経験が生かせるかもしれないと思った」
 イギリス行きの夢はふくらんだが公務員を辞める決心はなかなかつかず、誰にも打ち明けられないまま1年余り悩んだ末、1981年につてを頼って上京。東京の楽器店に就職し、翌年には修業のためイギリスへと旅立つ。音色と楽器にまつわる紆余曲折を経て、36歳でのスタートだった。

豊島の音
 「あんなに練習するのが好きだったはずなのに、いまは1日中触っていても弾くことにはまったく興味がなくなりました」
 チェロの弦をつま弾きながら、静かにそう語る。
 「ヴァイオリンやヴィオラというのは箱のようなもので、箱の形が出来て弦を張って、一体どういう音がするのかと第1音を弾くまで分からない。そのときには興奮して手が震えます。その後は、また次に作る楽器の音に心が動いていく」
 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの製作・販売、調整など、この工房から生まれる楽器はすべて「豊島の音」。製作者によって異なる音色は、ヴァイオリンやヴィオラの魅力のひとつでもある。
 「楽器製作の聖地といえば、クレモナというイタリアの都市です。そこでイタリア人の製作者は、自分のヴァイオリンをよく『この楽器はこういうふうに生まれた』という言い方をします。出来上がったヴァイオリンが自分のあまり意図しなかった音であれ、狙った通りの音であれ、こう生まれたのだ、と。弾く人によって音の表情がまるで違うから、必ず、その音がいいという人と駄目という人がいる。だから自分の作りたかった音ではないなと思ったとしても、失敗作というのはありません。もしかしたら、この楽器で素晴らしい音を響かせる演奏家がいるかもしれない。不思議なんですよ、ヴァイオリンは」
 イギリスやイタリアで修業を積み、コンクールへの出品を重ねてこれまで約100本。子どものころから演奏に明け暮れ、音色にこだわる人生を込めた「豊島の音」が生み出されていく。

深みのある独自のニス
 「製作と修理とがありますが、それはまったく別の世界。頭の使う場所が違うんです。例えば、修理をするには特に忍耐力が必要。ニカワが乾くまで待ったり、何度もニスを塗ったり。車にひかれて壊れたヴァイオリンを修理して、美しく仕上げるのに3年かけたこともあります」
 そんな修理から、1本1本の製作まですべてが手作業だ。設計図、型板、滑らかな曲線の削り、表板と裏板の張り合わせ、透明なオイルニスの塗りなどの工程を経て、ヴァイオリンやヴィオラで2〜3カ月、チェロで3〜4カ月の月日に及ぶ。「楽器には表板裏板のアーチや厚さなどの組み合わせが無限にあり、それによって音が変わる。それは作るたびにいつも実感しています。それでも楽器の中身は空っぽ。ただの箱なんですよ」とはにかんだ。
 なかでも難しいのが、美しく透明な輝きを出すニスの塗り方だ。「どの製作者も、ニスの作り方や塗り方だけは決して人に教えない。自分でニスの色などコントロールできるようなものではない」という。「豊島の音」を包み込むのは、1700年代のクレモナのニスを参考に試行錯誤の末、独自に開発した深みのあるオイルニスだ。
 「ヴァイオリンは、音はともかくいかに美しくあるかが問われがち。日本とイタリアの製作者では、曲線の感覚やニスの仕上げ方などがまるで違います。それには太陽の強さや温度、湿度の違いが関係するのかもしれません。でも自分は、『音』に懸けたい。音色が良く、深く、力強さのあるヴァイオリンを作りたい。あとは弾く人の腕次第ではありますが」

楽器製作は天職
 ヴァイオリンの音は、「表板と裏板のバランスで決まる」という。表と裏の厚みを調整し、バランスをとりながら削っていくのが「最も面白く、神経を使う場面」だと語る。この音を求めてやって来るプロの演奏家も多く、その弟子や仲間へと口コミで広がっていく。ただ、すべてがひとりで取り組む手作業のため、年間6本を製作するのが限界だ。昔もいまも、いつも収入の道は険しい。
 「もうやっていけないかな、今後どうしようかなと迷っていると、突然1本売れたりする。そうしてまた製作を続けることになる。この年まで来てしまったから、もう後戻りはできないし。きっと天職なんでしょう」
 ヴァイオリンやヴィオラをつま弾く姿は、至って自然体。演奏に明け暮れていたころとは違う、音を愛する製作者のたたずまい。その耳にはいまも、あのハイフェッツが弾くツィゴイネルワイゼンが流れている。
(2011.2 vol86 掲載)

とよしま・つぐお
1947年、大仙市生まれ。秋田県立秋田工業高校卒業。83年、イギリスでEd Smith氏の下で伝統的なヴァイオリン修理技術と製作一般の知識と技術を学ぶ。86年帰国後、90年に再び渡英しオイルニスの研究に没頭するかたわら、アンドレア・ガルネリ・モデルのヴィオラを製作。92年からイタリア・クレモナで製作。ドイツ、イタリア、ポーランド、アメリカなどの製作者コンクールに多数参加。98年帰国後、東京都で活動。2009年帰郷。日本弦楽器製作者協会、アメリカ・ヴァイオリン製作者協会会員。大仙市在住
○豊島ヴァイオリン製作工房 http://toyoshimaviolin.web.fc2.com/

 

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