「ポーズ違うよ!」
「左右均等に!」
秋田ノーザンハピネッツの試合会場。開場3時間前、体育館の2階席からチアダンスチームに向けて、冷静に、的確に指示を飛ばす女性の姿があった。コート全体に広がったダンサーたちのフォーメーションが、動作のひとつひとつが、彼女のひと声によって美しく整っていく。 彼女のブログを見ていると、全国各地から更新されていることに驚く。チアダンスチーム立ち上げのために昨日長野にいたと思えば、今日は秋田でノーザンハピネッツの試合会場から、そしてあくる日は拠点の東京から、といった具合に。自身が主宰するダンスチームのほか、全国各地の高校やカルチャースクールなどの指導者として日本中を飛び回る毎日なのだ。 チアダンスのディレクターとしては、振り付けはもちろんダンサーのオーディション、選曲、ハーフタイム時の演出にいたるまで、コート上のエンターテインメントまるごとを構成する。最近までは衣装も自ら制作していたそうだ。 休日もなく、まさに東奔西走の日々。飽きるほど長い移動時間も、振り付けや選曲、資料作成などにすべて費やされる。しかし苦に感じることはまったくないという。何が彼女の源になっているのか。 「私自身がやりたいことを思うようにやれない環境のなかで、必死に好きなバトントワリング(以下バトン)を続けてきた経緯があります。自分と同じように指導者がいなくて困っている人がいるなら、どこへでも飛んでいって力になりたいんです。まさに応援団の気分ですね」 指導中に垣間見た厳しい表情とはうって変わって、目の前の彼女は気さくで実に気持ちのよい話しぶりの人だった。 「バトンの先生」を夢見て 夢のはじまりは、小学4年生のクラブ活動で出合ったバトン。クラブ顧問が転勤してしまったり、地元の中学校にはバトン部がなかったりと、練習環境は不遇ではあったが「バトンの先生になる」夢はずっと抱き続けていたという。 バトン部のある高校に進んでからは、青春のすべてをバトンに捧げた。 「高校生の時にテレビで『ダンスドリル(後述参照)』の大会を見て、あれが私のやりたいことだ!と感じました。でもどうすればいいか分からないし、うらやましくて悔しくて…」 それでもバトンを続けたい 一 心で、顧問からの薦めもあり、日本女子体育大学短期大学部に進学。18歳で上京し、高山アイコバトンスタジオでの活動と部活動を両立させながら、いよいよ充実した毎日を送ることになる。 「そこは世界チャンピオンを輩出するようなレベルの高い教室で、基礎からコテンパンにやられましたがそれがよかった。負けるもんか、という根性はありましたね」 バトントワリング全国大会においては内閣総理大臣杯を受賞(92年)。92年から98年にかけては、毎年のように全日本チアリーディング選手権 JAL CUPにおいて上位入賞を果たし、2度の優勝も経験。プロフィールには受賞歴がいとまなく並び、夢を貫いてきた芯の強さと、たゆまぬ努力の証がキラキラと輝いている。 若い子たちへの間口を広げたい 念願のバトントワリング指導者としてスタートした後は、3年ほどインストラクターとして活躍。生徒たちにバトンを教える日々のなかで、ソングリーディング(チアリーディングから派生した、エンターテインメント性の高いダンス競技)という分野に出合うことになる。 「本場アメリカではチアリーディング、バトントワリング、ヒップホップなどの13部門をまとめて『ダンスドリル』と呼び、競技として確立しています。若い子たちの可能性を高めるためにも、間口を広げておきたいと思うようになりました。私のバトン人生はうまくいかないことが多かったけれど、だからこそ開ける道もあったのかも」 そして99年、「ソングリーディング」の名を冠したダンスドリルの教室を立ち上げる。並行して、スポーツシーンでのイベント、映画やプロモーションビデオ、芝居の振り付けなども手がけるように。活躍の裾野は大きく広がったが「伝えたいことがたくさんあるから」と、長年続けてきた高校生への指導にも力を注いでいる。 「高校時代は特別な時期。生徒たちと 一 緒に"青春"できるのが好きなんです。今の子たちは人とのやりとりが苦手だし、踊りが上手ならいいというような風潮もあるけれど、みんなを盛り上げる積極的な気持ちが根底にないとダメよと言っています」 チャンスがあるならどんどんやったほうがいいと、アメリカのチアダンスの大会へ生徒たちを引率して出場させることもしばしば。日本勢のパフォーマンスは質が高く、この業界では 一 目置かれているそうだ。 楽しい空間づくりなら任せて! 経験者ではないが、バスケットボールは見るのも応援するのも大好きだという。「マジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンの最盛期、NBAが来日したんですよ。幸運にもその会場でチアダンスチームのメンバーとして踊りました」。ハピネッツのチアダンスディレクターの話も、バスケットボールが引き寄せた縁なのかもしれない。 ちなみに、NBAシカゴブルズのダンスチーム(08─09シーズン)のメンバーに選抜された石田舞さんは、高校の後輩であり、教室の生徒だった経緯を持つ。石田さんに続くダンサーがノーザンハピネッツのダンスチームからも出てくることを期待しているという。 「秋田はやっぱりバスケの県。全国的に見ても熱気がすごい。会場がチームカラーのピンクに染まると圧巻です。プロチームができて、これから大きく変わっていくと思う。多くの方に実際に会場に足を運んでもらいたいし、元気を受け取ってほしい。来てくれた人が 一 体となって楽しくなる空間づくりなら任せて! と胸を張って言えますね」 楽しい場を生み出すことで、秋田県の暗い側面を吹き飛ばす力にまでつなげたいと語る。 明るい声とはじけそうな笑顔、パワフルなダンス。試合そのものは言うまでもないが、ダンサーのパフォーマンスに会場全体が高揚し、鳥肌が立つような興奮に包まれる。魂がうずくようなこの感覚こそ、きっと彼女が伝えたいものだろう。ノーザンハピネッツが好調な今期、エネルギッシュなひとときを通して、元気をもらう人がこれからますます増えるに違いない。 |
(2012.2 vol92 掲載) |
あべ・みねこ 秋田県由利本荘市出身。秋田経済法科大学付属高等学校(現・明桜高等学校)、日本女子体育大学短期大学部卒業。MAGIC JHONSON ALL STARS ’95 ’96 ’97 チアリーダー、NBA OF JAPAN TOUR ’96 チアリーダー、NBA SUPERGAME ’97 チアリーダー。2010-2011シーズン 秋田ノーザンハピネッツ チアダンスチームディレクター。「ソングリーディング&ダンスファミリー」主宰。ミス・ダンスドリルチーム理事。現在全国各地の高校を指導し多数の賞を受賞、チアダンスディレクターとして活躍中。自身が主宰する「team ZERO」は世界大会5位の成績を残している。 |