Esami Saito 斎藤 栄作美さん 白神自然アドバイザー

山笑う季節に、耳を澄ませ。

道なき道を歩き、川を詰め、尾根を越える。
山に入れば、その先に、白神の声が聞こえてくる。

 雪というにはまだ深い根雪に覆われた三月下旬。白神の手前、藤里の水無沼(みずなしぬま)付近を歩く。
 「二月の終わりから三月に降った雪はすぐ消えるけれど、一月、二月に積もった雪は圧縮されてなかなか消えない。雪が解けて新緑になるのは五月の末」
 記録的な豪雪だったこの冬の間も、いつもと変わらず山に入った。カンジキを履いた足で踏みしめ、「ことしの雪は締まっている」とつぶやく。雪の白さに映えるミズキの赤い枝先がまぶしい。
 「春になると、この斜面に一番先に咲くのが福寿草。四月中旬にはイワウチワ、イワカガミなども群落をつくる。ミズキは春になると葉っぱが棚のようになり、初夏に白い花を付け、カツラの木は芽吹くころ真っ赤になって、秋には黄葉して甘いにおいを漂わせる」
 どんなに厳寒の冬にも必ず春は訪れ、季節は巡る。この日、白神の山はまだ深い眠りについていた。

道なき道を歩く

 藤里の下根城に生まれてから、山の景色が見える場所で育った。
 「山なんていうのは仕事をする場所。小学校六年の時に親父に連れられて行って、杉の木の苗を尾根まで背負う仕事を手伝った。生活のために入るところだから、山なんて、決して楽しい場所ではなかった」
 二十歳で古里に戻り、仕事をしながら覚えたのが山の持つ別の表情だった。
 「女房の親父は山の主のような人で、ある日、一緒に山に連れて行ってもらった。午前中にマイタケを採って昼飯を食べた後、荷物を背負ったら一時間でもう親父の足についていけない。山には歩き方があるんだと分かった」
 野球やスキーで鍛えた体には自信があったが、それは通用しなかった。「山の道なき道を歩き、川を詰め、尾根を越えるにも歩き方がある」と話す。そして山には、春はゼンマイ、秋はマイタケ…。道なき道を行けば、そこに山の幸が待っていた。
 「そのころはまだ『山の恵み』をいただくだけ。山からいただくものの何たるかなど考えもしなかった。ただゼンマイやマイタケを採っては自慢話をしていた」

自然が見えてくる

 水無沼から右へ入り、カンジキで雪の斜面を行く。
 尾根を境に、左斜面にスギ、右斜面にブナ。かつて伐採されていたころ、雪崩防止のために残されたブナ林がなだらかな斜面に広がっていた。
 「伐採される前はスギと落葉樹の混交林だったはず。恐らくブナも海の近くから存在していただろう。里山ではもうこうやって残っている場所はほとんどない」
 尾根を歩き、途中しばし休憩する。汗ばんだ肌にも三月の風はまだ冷たい。
 辺りの落葉樹は750mから下はウダイカンバ、上はダケカンバ。ウダイカンバの皮はナタではぐと何層にもなっており、昔は皮を燃やして種火にしたものだという。長良川の鵜匠(うしょう)がこの皮でかがり火をたき、魚を寄せて鵜飼(うか)いに使ったことが名前の由来ともいわれている。
 「山の生き物の名前はすべて人間が付けたもの。カンバの木が人間と長い間付き合ってきたことが名前からもよく分かる」
 降りだした雨が、カンバと人をぬらし始めた。
 人と自然について考えるようになったのは、山の恵みに引かれてひとりで歩くようになった後。「最低十年、二十年入らなければ山のことは何も分からない」と話す。山に入り続けている間にも、年々、山菜採りやキノコ採り、渓流釣りなどで白神の山にごみが増え始め、車まで捨てられる状況に疑問を抱き始めた。自然保護指導員の講習を受け始めたころから、ようやく自然というものが見えてきたという。
 「自然に生きる物は、自然に合わせて生きている。彼らは何千年、何万年を山で生き、これからも山で生きていく」
 これまで歩いた道なき道、授かった山の恵み、春夏秋冬の山の息づかいの意味がおぼろげに分かってきた。
 「自然は生き物を育てるためにあると気づいて、なるほどな、と思った。ようやく自然が見えてきた」



山の声を聞く

 ほぼ毎日、山に入る。忙しくて山に行けそうにない日でも「体がうずいてしまう」という。
 「自然は物を言わないといわれるが、確実に物を言う。毎日山に入れば、自然は毎日、違った声で話しかけてくる。下界で人間と話すより、ずっといい」
 春、花を咲かせる時の声。枝に実を付ける時の声。夏の色。台風後の痛々しさ。秋のにおい。冬の眠り…。
 「季節ごとに彼らは競争をしている。いい色を出す時、いいにおいを漂わせる時、『どお? 私きれいでしょう?』と語りかけてくる。『ことし花は咲くの?』と聞けば、それにちゃんと答えてくれる」
 自然の声は、耳を澄ませば誰にでも聞こえてくるものではない。神経を研ぎ澄ませば感じられるものでもない。
 「自然の声は山にしょっちゅう入る人に聞こえてくる。寒くとも暑くとも、それが良くて何度も何度も山に入り、やがてやっと自然の声が耳に届くようになる。声が聞こえるようになれば、聞こえるからこそ山にまた行くようになる」
 自然と人との間には距離がある。だからこそ人は、山に入る時におごってはいけないという。「自然には常にものすごい力がある。その力にすがって山を歩いていることを忘れてはならない」と強調する。

人と自然の橋渡し

 白神山地が世界自然遺産に登録されたのは、原生的なブナ林が世界最大級の規模で分布していること、そして「道がない」ことが決め手だったという。世界自然遺産登録後、秋田県側の核心地域は生態系を守るために入山を禁止した。周辺地域には歩道を整備し、生態系に影響しないよう配慮しながら自然体験を図る。
 「白神山地は毎年変わっている。自然の生態系を守るために、歯止めをかけなければいけない。生態系が崩れていくのを止めることは無理かもしれないが、人間の手によってそれを進めることだけはしてはいけない」
 山の楽しみと恐ろしさを知っているからこそ、人と自然の間に入って橋渡しの役目を果たす。「山の生き物の生活をのぞき、彼らの力のすごさを感じてもらいたい。みんなが彼らと会話できるようになってくれれば」と願っている。
 水無沼の尾根を伝い、雪の中を放牧場跡へと向かった。小雨が降る中でも、雪にたたずむブナの姿は美しい。根元を見れば、幹の輻射熱で、ブナの周囲の雪がまるく解けていた。
 「この根回り穴が大きくなれば、ブナが眠りから覚めて水を吸い上げ、活動を始めたという合図。そうすれば山が動く。自然が動く。生き物が動く―」
 三月はまだ深い眠りについたまま。山笑う季節を夢見ている。

(2006.6 Vol58 掲載)

さいとう・えさみ
1949年藤里町生まれ。子どものころから自然に親しみ、林業に従事しながら白神の山を歩く。白神山地が世界自然遺産に登録された93年、秋田県自然保護指導員に。そのほか(財)日本自然協会員、自然観察指導員、白神世界遺産巡視員、藤里町遭難捜索隊員など。現在、自然アドバイザーとして環境省白神山地世界遺産センター藤里館に勤務。藤里町在住

白神山地 世界遺産センター藤里館
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