「世界チャンピオンになれなくてすみませんでした」
世界フェザー級タイトルマッチでの敗戦から二週間。公式ホームページに掲載されたのは、意外にも「謝罪」の言葉だった。
「世界一のジムにお世話になって、世界一の応援を受けながら、世界一の人と世界一をかけてボクシングができたこと、最高でした。楽しかったです。試合に勝てなかったのは、自分の力不足と努力が足りないからです。ジムと応援してくださった皆さんに、本当に申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉の奧に、これまでの思いが交錯する。感謝、迷いと苦悩、そして責任…。今後はどうするのか? 再挑戦してくれるのか―?そんなファンへの期待に応えるメッセージを、文章の最後にようやく見つけた。
「負けて言うのもなんですが、また応援よろしくお願いします」
世界に再挑戦
かつて汗を流した金足農業高校の部室。パイプイスにゆったり腰を降ろし、リングの下で世界戦後の心境を語った。
「本当は、ボクシングを辞めたくない。自分には、世界戦をやらせてもらった責任がある。ただ『こいつなら必ず世界チャンピオンになってくれる』と信じてくれた人たちの期待に応えることができなかった。でも世界戦後のあいさつ回りで、みんなに『また見たい』と言ってもらえた。ジムの会長にも『自分で決めろ』と言われ、 『またやりたい』という気持ちを後押ししてくれた」
デビュー後、それまで29戦27勝(19KO)2分。無敗ロードを着実に歩んで挑んだ二〇〇八年十月の世界戦は、タイトルに手が届かなかった。まだ下あごと左目の傷跡が痛々しい。
「拳やあごの傷は仕方ないが脳の損傷だけはどうしようもない。けれど、試合が終わってから一週間かけて検査をして『まだやれる』という結果が出ました。それを聞いて、体を丈夫に産んでくれて、強く育ててくれた両親に感謝しています」
保留にしていた今後の進退を、心に決めた。
「かみさんには散々苦労をかけたから、かみさんがだめと言うのなら辞めたけれど、みんなの言葉と検査結果に、『今後のことは自分で決めてもいいんだな』と思えた」
家族と数人の友人以外、だれも応援してくれる人のいない地でプロデビューして十年。徐々に大きくなった声援のありがたさを常に体で感じてきた。
「自分は応援してくれた人たちのおかげで勝ってこられたんだと思う。試合を終えて思ったことだけど、自分は本当に、みんなにボクシングを『やらせてもらっている』。戦わせてもらった世界戦で負けた責任は、辞めてしまっては果たせない。自分はまだボクシングをやりたい。世界チャンピオンになりたい―」
中学からジムに通う
三人兄弟の末っ子。アマチュアボクシングで活躍していた兄の姿は、プロ野球にあこがれていたはずの少年の心を引き付けた。
「兄貴のようになりたい。強くなりたい」。その一心で中学一年の冬からジムに通った。金足農業高校時代は国体で三位。天覧試合での判定に納得がいかず、表彰式で客席のイスを蹴るなどして進路内定が取り消された「伝説」を持つ。
「プロになって見返してやる」
もともとプロ志望ではなかったが、榎の負けん気に火が付いた。
「強くなりたかった。どう生まれても、どこで生まれても、かっこよく生きたい」
秋田で日本タイトル
「好きだと気付いた時には辞められなくなっている。それが、ボクシング」
だからもちろん、上京してプロの門を叩いた。
「プロで通用する自信はなかったが、自分の力がどこまで通用するのか試してみたかった」
偶然見学に訪れた角海老ジムのマネージャーに小遣いを渡されたことが縁で入門。プロの世界はアマチュアとはすべて異なった。
「アマは年齢がほとんど同じ者同士だけど、プロでは年齢は関係ない。体格、心、人生経験など、すべてが違っていた。一戦一戦勝っていたが、自分は強い選手ではないと思っていたから、絶対にうぬぼれたり隙を作ることはなかった。並大抵のことでは上に行けない、強くなれない」
デビュー戦から4試合連続1ラウンドKO勝ち。B級・A級トーナメントで優勝し、日本王座を獲得。無敗の王者は、地元秋田での日本タイトル防衛戦にも勝利した。
「ただ、勝ち続けることでプレッシャーが生まれていた。世界が見えてくると『勝つ』ことより『負けられない』と思うから、いつの間にか守りに入ってしまっていた」
その秋田での防衛戦前に、大きなけがをした。一カ月前に足首を骨折。練習もままならず、不安があった。そんな状態を救ったのは、試合の数時間前に届いた色紙。体の不自由なファンが口で描いたものだった。
「それを見て、自分は絶対勝つぞと強い気持ちになった。足ぐらい、たいしたことはない。試合を終えてお礼を言いに行った時、色紙をくれた"たくくん≠ノ『世界チャンピオンになって』と言われた。その言葉がなかったら、自分は世界を目指せなかったと思う」
科学的に体鍛える
体の仕組みを勉強するようになったのも、けががきっかけだった。けがを治して世界を目指すために科学的なトレーニングを取り入れ、自分が本来持っていた体を取り戻した。体の仕組みを覚えることは、調子の悪くなった体を鍛えるいいきっかけになった。
「自分が一番好きな言葉は、『精神は肉体をも凌りょうが駕する』。いくら肉体が強くても、度胸がなければ何もできない。肉体は科学的なトレーニングで取り戻したから、後は精神力で前進あるのみ。これまで地道に階段を登ってきた分、いろんなことを吸収してこられた。究めることなんてできないが、それでも究めていきたいんです」
世界戦で得たもの
世界戦のリング上で、ひとつ、秘密ができたという。
「世界戦が楽しかったという自分のコメントは、誤解されやすかったと思う。完全燃焼できた充実感のことではない。中学一年の冬からボクシングをやってきて、自分自身、ボクシングの何が好きで戦っているのか、分からなかった。勝ったから面白い、かっこいいから好き、なんてことではなかった。あの試合をやって、それがようやく分かった。自分はなんでボクシングが好きなのか。十五年以上やって、世界戦のリングだからこそ分かった。でも、『何が楽しいのか』は秘密です」
かつての部室の鏡を前に、武器であるふたつの拳を突き出した。
再挑戦は、すでに始まっている。 |