ハッとするほど瞳の大きな女性が目の前に現れた。
 舞台に立つ凛とした姿からは想像も付かないほど、柔らかでゆったりとした物腰。小柄な体と、丸みを帯びた小さな手。この体がバネとなり、楽器となって、「絹糸のような」と表現される艶やかで力強い音を響かせる。
 その音色に計り知れない「音楽の力」を込めて。目に見えない、人の心に響く「何か」を求めて、音を紡ぐ。音を届ける。


心に響く音色を

 病院のホールで開いた、クラシック・コンサート。その季節ならではのメロディをヴァイオリンで演奏するうちに、観客の目から涙があふれ出た。穏やかな表情で耳を傾ける人、にっこりとほほ笑む人、なりふり構わず号泣する人─。
 「これって何だろう、と思った。私の演奏を喜んでくれる人がいる。泣いてくれる人がいる─。自分がヴァイオリンを弾く意味が分からない時期があり、ずっと考えてきたけれど、私が弾く意味って、もしかしたらこれなのかなと思った。私のヴァイオリンが心に届いて、泣いてくれる。それに私の心も共鳴して、それがまた音になる。音楽の力は計り知れないものとは分かっていても、こんなふうに思うことはこれまでなかった。心に響く音というものを最近、実感しています」
 6歳でヴァイオリンを始め、12歳でデビューした若きヴァイオリニスト。子どもの頃から養い、培ってきた音楽への思いは深い。
 「言葉のように聞こえるような、伝わるような音楽ができたらと思う。心に響くように演奏をしたいなぁって。自分が演奏する意味が分からなくなり辛かった時期でも、そんな自分の音に自分自身が癒やされることもあるんです」
 目に見えない、音。しかし、何かを秘めた音─。
 心で紡ぎ出すように、ヴァイオリンの音色をつま弾く。

楽しさが根底に
 小さな頃から積み木をヴァイオリン代わりにして遊んでいた。2人の兄が弾く姿を見て、木と木を交差させてまねをする。そんな少女が実際にヴァイオリンを習い始めたのは6歳のとき。小学3年で専門家に見てもらった頃には、すでに「東京に来ないか」と誘われるほどの才能を開花させていた。
 小学4年で東京に移り住んでからは、ヴァイオリンとの向き合い方が変わっていく。通い始めたのは、英才教育で名高い桐朋学園大学音楽学部に附属する「子供のための音楽教室」。それまで無邪気に音を響かせていた少女に突然、同年代の多くのライバルができたのだ。音楽に対する「心の何かが変わってしまった」と振り返る。中学では反抗心が芽生え、音楽教室を辞めてヴァイオリン教育に別れを告げた。
 「とにかく普通の子と同じように遊びたかった。ヴァイオリン教育を受けていれば修学旅行には行けないし、部活動も制限されたり。でもそれには理由があるんです。ヴァイオリンは指先を動かして弾くミリ単位の音の世界だから、体や指先がまだ軟らかい時期こそが命。ヴァイオリンを弾くための体を作らなければいけなかったんです」
 反抗期は1、2年程続いたが、ふと「自分には他にヴァイオリンしかない」と気づく。そして思い出したのは、秋田でヴァイオリンを弾き始めた頃に感じた「楽しさ」だった。
 「秋田青少年オーケストラにはとても影響を受けました。志が素晴らしく、アンサンブルの楽しさを教えてくれた。同じ楽器を弾く者同士、悩みを分かち合えた場所でもありました。幼い頃の私は、そこでヴァイオリンの楽しさを知った。それが根底にあったから、反抗期を乗り越えることができた。ヴァイオリンを再開できたのは、秋田にいたときの楽しい思い出があったからです」

自分が弾く意味とは
 桐朋女子高等学校音楽科を卒業後、選んだのは海外への道だ。ウィーン国立音楽大学で1年学び、その後は尊敬する師の下、シカゴでプライベートレッスンを受ける。ライバルの中でレベルアップを目指していた日本での音楽環境と海外は違っていた。
 「日本で上達するよう努力してきた思いが、海外では通じなかった。同じようなレベルの中で競うのではなく、留学先では周囲ははるかに上手な人ばかり。こんな人たちの中で、私にヴァイオリンを弾く意味などあるのかなと疑問でした。自分の弾く意味が分からなくなった時期がありました」
 それはシカゴからドイツに渡り、ドイツ・リューベック国立音楽大学に留学してからも続いた。北ドイツの曇天に圧されるように、ヴァイオリンを弾く自分の心は沈んでいく─。こんなに上手な人がいる中で、自分に何ができるのか。弾くことの迷いに悩むよりも、とにかく「自分が弾く意味」が知りたかった。
 「たくさんもがきましたが、いろいろな経験をしてさまざまな演奏を聴いて、ヴァイオリンをいかに上手に弾くかではなく、その人なりの表現方法の良さを感じることが多くなった。自分なりの表現を考えていくうちに、次第に悩みは消えていきました」
 ドイツから帰国後は、数々のコンクールで受賞。その音色は各地で多くの人を魅了する。プロオーケストラとの共演や音楽祭への参加など国内外を飛び回る日々だ。

可能性を秘めて
 「私は回り道や寄り道が多いのですが、そういうタイプの人間なんです」
 舞台に立つ姿は力強い。絹糸1本1本を紡ぐような、伸びやかな音色。寄り道で得た力は大きいはずだ。
 「寄り道をしても続けてこられたのは、周りの人が支えてくれていたから。じっと見守って、常に待っていてくる先生たちや家族がいたから」
 そう話す新進気鋭のヴァイオリニストの大きな瞳が輝くのは、何より「音楽の力」を語るときだ。言葉で何かを伝えるように、音楽を心に届けたい、人々の心の奥に響くように演奏したい─。いまはそれをふるさとに届けたいという願いが強い。
 「全国各地、いろいろな場所でヴァイオリンを弾いてきましたが、いまは幼い頃に暮らした秋田で子どもに向けたコンサートをたくさん行いたいと思っています。それは、子どもの頃に受ける音楽の影響は大きいものだと実感しているから。出合った音楽のことは、必ず覚えているものだと思います。クラシック音楽は敷居が高いと思われているかもしれないけれど、それをなくしていきたい。私にできることを、少しずつでも」
 今後、彼女の音色はどう変化していくのか、どんな「力」を培っていくのか。底知れぬ可能性を秘めて、舞台の幕が上がる。

(2011.4 vol87 掲載)

いしがめ・きょうこ
秋田市出身。6歳よりヴァイオリンを始め、秋田青少年オーケストラに在籍。加藤道子、羽川武の両氏に師事。1999年桐朋女子高等学校音楽部ヴァイオリン科卒業、ウィーン国立音楽大学留学。2001年ドイツ・リューベック国立音楽大学留学。05年国際コンクールIBLA Grand Prizeにて最高位並びにバッハ賞を受賞。同年、第3回東京音楽コンクール弦楽部門第3位、ミケランジェロ・アバド国際ヴァイオリンコンクール最高位(1位なしの2位)を受賞。東京都在住
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