瑠璃色に輝くクサギの実。鳥海山を背景に咲くソバの花。暗闇に妖艶な姿を見せる枝垂れ桜。赤く色づいたモミジが砂糖菓子のように、うっすらと霜化粧した朝―。レンズの向こうにある景色を見つめ、一枚の写真として切り取る。風景から風景へ。旅するように、シャッターを切る。
撮影は自然体で
常にカメラを持ち歩いているわけではない。被写体を探して、ある瞬間を見逃さないよう身構えているわけでもない。
「ごく自然に、なんとなくだなぁ」
日常生活ののんびりとしたスタイルが、穏やかな口調から伝わってくる。
「角館で暮らしていれば、四季が身近にあるのは当たり前のこと。季節の移り変わりにピリピリしていると、本当に写したいものが見えなくなる」
しかし「その時」が訪れると、心と体のスイッチが一瞬にして切り替わる。春は南から北へと桜前線を追いかける。秋が深まり、マツタケ採りの名人から「最盛期だ!」との電話が入れば、山へと車を走らせる。
花、温泉、職人、漁師。そして土地の人々の穏やかな表情…。
あるテーマのもとに撮影していた被写体の表情は、取材を重ねるうちに深みを増す。レンズの先の一瞬は、奥行きのある一枚になる。
「一番いい表情を撮りたいから、いかに相手の懐に入っていけるかが大切。花を撮るにしても、同じ目線で、花と同じ感覚まで自分をもっていく。価値観を同じにしていく。でも被写体に自分を隠さないことが、一番重要なことなのかも。私はこれ以上でもこれ以下でもない、こんなもんなんですよって」
そんな自然体の撮影スタイルが、心に響く写真を生む。
小説は持ち歩く
撮影に向かう時、カメラバッグにはペンタックスのカメラとレンズ四本、フィルム数十個。三脚と雨具、水や食料。簡易テントやラジオ、ナタのほか、熊よけスプレーや火薬を入れたおもちゃのピストルも必要だ。見通しの悪い山中であっても、おもちゃのピストルを鳴らすことで、動物にこちらの存在を教えることができる。「自然の中に入っていくと、自分のちっぽけさを実感する。自然は高貴で、人の力など決して及ばない。自然を前にすればちっちゃいことなどどうでもよくなるから、普段、威張っている人を見るとかわいそうに思えてしまう。『寂しい人だな』って。自然から学ばなければと思う」
増水した川に流されたこと、八甲田の冬山で脱水症状を起こしたこと、断崖からずり落ちそうになったこともある。それでも重いカメラバッグを抱え、山にひとりで入ることにためらいはない。
「恐怖と闘いながら自然と向き合えば、懐の深さや怖さを知る。自分が冷静でいないと大変」
だから撮影に向かう時は、もうひとつ大切な必需品を持っていく。
作家・吉村昭の著作。『破獄』『羆嵐』『漂流』などの緻密なノンフィクション小説で知られる作家の単行本を二冊、必ずカメラバッグに忍ばせる。カメラのセッティングを終え、空が晴れるのを車内で待つ間の相棒であり「私のバイブル」という。昨年の冬山には「零式戦闘機」と短編五編が入った『水の葬列』を持参。なかなか晴れずに結局、「零式
戦闘機」は二度読んだ。
「ひたむきで、真面目で、徹底的に調べ上げて書かれた著作には膨大な時間とエネルギーが注ぎ込まれていて、読む側も強くなければ読めない。ともすれば錯覚したり、弱くなりがちな自分を戒めるために、自分を奮い立たせるために
読むんです。吉村氏が描く『生』と『死』を、自分も確かに感じたことがある。人間は生まれた時から、死に近づいていくものだから」
後押ししてくれた母
母親が三年前に亡くなった。
実業団のバスケットボール部で活躍しながらもケガをし、電話で弱音を吐く娘に「心まで病気になったか」と叱った。選手生活を終えた後、ふるさと・角館に戻って写真を学び始めた娘を長年、温かく見守り続けた。
入院する時には、仕事を辞めて介護に専念したいと言ってボロボロと泣いた娘を「あんたは写真をだれに見せるの?待っている人がいっぱいいるべ?」と諭した。
「家に帰れば、いつも、どんな時も『いい写真撮れたか?』って。その言葉が私を後押ししてくれた。母がいてくれて、自分が一人前になれた姿を見せたかったから、これまでがむしゃらにやってこられた。私、マザコンなんだよ。母がいなければ、こんなに夢中に写真をやれなかった」
独立して九年、全速力で走り続けてきた日々を振り返る。
「風景を撮って走り続けてきた時期は、一段落。これからは、いままで撮りためたものを少しずつ発表していく機会を持とうと思っています。今年は発表の時期、そして来年はまた撮影に力を入れる年、と。最近は、自分の力量がなんとなく分かってきたから。年齢的なこともあるのかな」
謙虚に自然と向き合う
山に入れば、大きな空の動きや小さな動植物の営みがすぐそばにある。
「写したいなぁと思うのは、自然の姿に感動するから。その姿をそのままに、ありのままに写したい。でもだんだんとスケベ根性が出てきて、いいものを撮ろう、作ろうとする意識が働いてきてしまう。そうして考えている自分がだんだんと嫌になっていく。だから、自然の姿を謙虚に、ありのままに」
のんびりと話していても、料理や掃除に精を出していても、スイッチが入ればまた、一瞬にして心と体が撮影に集中する。
「私は、ひとつのことしかできないから」
そんな会話を交わしながら、秋空にぷかぷかと浮かぶ雲を見つめた。
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