工藤華子タイトル

秋田県初で、県内唯一の女性杜氏。
かつて弁護士を夢見た女性が醸す酒は、
奥深い旨みが力強くのど元を突く。

 かすかに光を弱めた木漏れ日に、移ろう季節を思う夏の暮れ。
 水辺は静かで、時折吹き込む風が木々を揺らすだけ。
 ここは古くから、染屋十二軒、酒屋十二軒と称されてきた水の里。
栗駒山麓の融雪伏流水が湧き出し、あたりに沼を点在させる。
 やわらかく、清らかに。浅舞は、清水とともに時を刻んでいる。


水の里は酒の里

 舞鶴酒造(横手市平鹿町)は大正七年創業。かつて醸していた酒銘「朝乃舞」は創業当時、敷地内の湧き水に毎朝、鶴が飛来しては天空を舞ったことにちなんだ。
 ここには江戸時代の紀行家・菅江真澄も訪れ、水の里を称えている。舞鶴酒造の裏手から水路沿いに歩くと、底からふつふつと、こんこんと湧く水をたたえる沼がある。真澄が『雪の出羽路』に記した琵琶寒し泉ず(琵琶沼)。形状が琵琶に似ていることから名付けられたと
もいわれ、栗駒山麓を源とする水はいまも浅舞の暮らしを守る。
 「良質の水が湧くことは、ここではあまりにも普通のこと。秋田を離れるまで、その良さになかなか気付きませんでした」
 湧き水は浅舞正藍染、浅舞絞りなどの技を生み出し、多くの造り酒屋を栄えさせた。浅舞ではいま、二軒の酒蔵が酒を醸している。
 冬の仕込みの時期を終え、次の仕込みまで羽を休める浅舞の夏。水の里は、のんびりとして、すがすがしい。

酒蔵を遊び場に

 蔵元の長女として生まれ育った。
 「酒蔵に遊びに行っては、酒かすを焼いて食べたり、蒸し米をおやつ代わりにしたり。蔵人が薪まきストーブを使って煮ていた小豆は、本当においしかった」
 蔵人の仕事をじゃましては、自然と蔵の空気に溶け込んだ。米の蒸し上がるにおいも、蔵人ひとりひとりの動きも、子どものころの景色は体に染み込んでいる。酒蔵は遊び場のようでもあった。
 「蔵人さんたちはとても優しかった。でも、杜氏だけは別。怖いわけではないけれど、威厳があって気軽に声をかけられなかった。蔵で遊んでいる私のことを、ちゃんと監視してました」
 杜氏は特別な存在なのだと、子ども心に知っていた。

微生物の神秘を知る

 「弁護士になりたい」と思ったのは、「かっこいい女性」にあこがれたから。男性が多く活躍する仕事のなかで、自分の力で自立して強く突き進む女性にあこがれた。だが両親や祖父母が望んだのは蔵元の跡継ぎ。敷かれたレールへの反発から、両親を納得させる口実で東京農大短期大学の醸造科に進んだ。「とりあえず家を出て、東京に行ってから先のことを考えよう」。当時はひそかにそうもくろんでいたのだと明かす。しかし予想外のことが待っていた。
 「醸造学を学んで、目に見えない微生物が造り出すミクロの世界を知ったら、おもしろくって」
 穏やかな口調が、ふと弾けた。
 酒はどのようにできるのか、醸造とは何なのか、魅力的な数々の化学式、酵母はどう作用するのか―。進路はたちまちにして、酒造りの世界へ方向転換。
 「微生物の力って、ものすごいんです」

米の旨みにこだわる

  現在、蔵人三人で醸す酒は、純米吟醸や山廃純米酒。酒蔵にすみついた微生物が自然に酵母を育てるから、「ここだけ」の純米酒が毎年生まれる。平成十四年から造っている「田从(たびと)」は、米を作る人、酒を造る人、売る人、味わう人の関わり合いを忘れまいと、父が名付けた銘柄だ。「从」は古代中国文字で人の集まりを表す文字だという。米の旨みを最大限に引き出した個性が際立つ。
 工藤さんが醸すのはその「田从」と「月下の舞」。あくまでも純米酒のみを造る。それは高齢化によって蔵人が減り、杜氏も去って蔵の危機に直面した時、酒造りを自ら問い直した結果だ。県外の女性杜氏仲間や大学時代の先輩からの助言にも救われた。「これしか造らない」と決めたのだ。
 「私が継がなければこの蔵は無くなってしまうと思った時、蔵の大切さに気付きました。多くの蔵人が出入りして、地元の人々に支えられてきた酒蔵がはぐくんだ歴史は重い。だから、飲み継がれ、造り継がれてきたうちの蔵でしか造れない酒を、造りたい。舞鶴酒造という酒蔵と、私の気持ちを理解してくれる人しか口にしない酒。そういう酒しか、私は造らない」
 「田从」はうっすらと黄色く色づき、奥深い旨みに強さのある酒。しっかりとした米の味に、酸味と香りが酒の持ち味を幾重にもふくらませる。平成十四年、酸が高めで失敗したかに思えた酒は、個性のある酒だと好評を得た。じっくりと熟成された厚みに、どっしりとした存在感がある。
 「アルコールを添加せず、手抜きをせず、丁寧に造る日本酒本来の味を持った本物の純米酒を造っていく。次につなげるために、次の世代に遺していくために」

酒に話しかける

  水と米、造る人、飲む人。その関わりを見つめはぐくんできた酒蔵には、目には見えない、何かがすみついている。
 「酒を造るのは微生物。私はそれを手助けするだけ」と、酒蔵でいつもこっそり、話しかける。
 「生き物と仲良くして、機嫌をとって、酒をおいしくしてもらう。ぶつぶつと独り言のようにあたりに話しかけるから、だれか他の人に見られたら恥ずかしいかも」
 すみついているのは、微生物だけではないだろう。多くの蔵人の吐く息、杜氏の志、蔵元の願い|。大正七年からすみ続けている何かが蔵の内部に存在する。
 「酒造りは再現性のない世界。私はその年にできた米で、いつも通り手を抜かずに作業するだけ。生き物はいつもいい子ではいてくれないから、いろいろなことが起こるけれど、ただいつも通りに、その年々のものを丁寧に造るんです」
 清らかな琵琶寒泉を、微生物たちが気ままに純米酒に醸す。
 酒蔵が重ねた年月と女性の強さが、酒質の力強さを物語っているのかもしれない。

(2008.10 Vol72 掲載)
顔写真

くどう・はなこ
1964年舞鶴酒造(横手市平鹿町)に長女として生まれる。85年東京農業大学短期大学醸造科卒業。国税庁醸造試験所で2年間研修後、家業に従事。2001年製造管理責任者(杜氏)となり、03年より純米酒のみを醸す。県内初で唯一の女性杜氏。横手市平鹿町在住
舞鶴酒造 横手市平鹿町浅舞字浅舞184 TEL0182-24-1128