Kazuo Oga 男鹿 和雄さん アニメーション美術監督・挿画家

 雲が流れ、風がそよぎ、緑はかすかに揺れながら光を動かす。
白昼の穏やかな光と、刻々と移りゆく夕暮れ、
恐ろしささえ感じさせる夜の暗さ…。
こまやかな自然描写は、トトロのすみかである1本の大きなクスノキに、
夜明けを迎えたシシ神の森に命を吹き込む。
やがて、この土のかたちが見えてくる。

 一本一本の草木、一枚一枚の葉っぱが語りかけてくるような風景。そこには風が吹く。雨が降る。夕暮れ時がくる。子どもたちは遊び、なぜか猫バスがやって来る。何もかもを包み込むような風景に、美術監督・男鹿和雄さんは命を吹き込んだ。

白神山地で自然描写

 深い森に覆われた北の地の果て。
 ブナの原生林に霧が立ち込め、巨木が生い茂る森に不気味な緊張感が漂う。エミシ一族が隠れ住む里山に襲ってきた怪しげな、何か…。草や木を押し分けてうごめくのはのろいと憎悪に荒れ狂ったタタリ神だ。映画「もののけ姫」の冒頭では、優しげでありながら恐ろしさをも見せる森の自然描写が物語全体に流れる空気を決定づけた。
 「木々の密度、天候、光の移り変わりなどによって森にはいろいろな表情が生まれる。そこに自分の目で確かめたものをちりばめれば、物語に説得力が出るでしょう」
 「もののけ姫」が公開される二年前の一九九五年、男鹿さんは主人公・アシタカが住むエミシの村を描くために白神山地の取材に出かけた。青森県の鰺ヶ沢、藤里町の二ツ森などを歩き回り、写真を撮り、絵のなかにちりばめるための数限りない要素を目と肌で確かめた。
 「ブナ林の写真集はたくさんあるが、ブナの木の足下はどうなっているのか、根元の盛り上がりはどんな形なのかは分からない。地面を覆う草や落ち葉、一本一本のブナの違い、木肌、木々の構図、木漏れ日…。景色を立体的に見るのと同時にそれらを目で確かめ空気を感じて、めぼしい要素をいっぱい拾い集めてくるんです。写真集で見るブナの大木からは思いもよらない、はっとする巡り合わせが結構あるんですよ」

美術が品格を決める

 『男鹿和雄画集』のインタビューで宮崎駿監督は、「アニメーション映画における美術は、映画の品格を決める決定的役割を持っていると思う。ある映画を見た瞬間に、それがどういう志を持った映画か、ということを伝えるのは圧倒的に美術の力だ」と語っている。「光や影や質感は人間の精神性まで表現する厚みがある」という。そんな監督の思いを受け止めて、イメージを具体化していくのが男鹿さんの役目なのだという。
 「背景の描き方は監督によって違います。自然物に関心のない監督の場合は、草むらや原っぱなどの描き方はいい加減になる。宮崎監督は、そのまま描けば映画が出来上がってしまうぐらいしっかりした絵コンテを描き、背景の自然物に対して求めてくるレベルが高い。美術は、そんな監督のイメージを細かく具体化していくんです。僕には、山菜採りやキノコ採り、魚釣りや川遊びをした子どものころの日常があった。秋田に住んでいた時の暮らしと風景が美術をする上で一番の財産なんです」
 宮崎監督が求めた映画の品格と、光や空気、においまで感じさせる男鹿さんの美術。その交差点にあるのが「となりのトトロ」や「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「もののけ姫」などのジブリ作品だ。誰の記憶にもあるであろう風景を描き、ジブリ作品の品格を決定づけた「トトロ」の夕暮れ、懐かしさと温かさにあふれた「おもひでぽろぽろ」や「耳をすませば」の自然描写…。その背景には、男鹿さんが暮らした秋田の風景が広がっている。

映画の舞台を描く

  アニメーション映画の美術は、キャラクターが動く「背景」であり「舞台」そのものを描く仕事だ。
 「アニメーションの背景は普通の絵と違って空間が成り立っているかどうかが問題。キャラクターの自然な動きを考えてレイアウトを取り、絵の中に距離感をつくり出す。キャラクターが動きやすいようにバランスとして正確な空間が必要なんです」
 男鹿さんが美術の仕事を始めたところは、アニメーションについてほとんど知らずに入社した背景専門のプロダクション。美術監督の小林七郎氏のもとでアニメーションの背景の描き方や絵について指導を受けた。当時は東京ムービーというアニメーション制作会社からの仕事が多く、「ド根性ガエル」「ガンバの冒険」などテレビの背景を一日に十枚以上描いても間に合わず、仲間同士で「どうやったら両手で二枚同時に描けるか」を冗談交じりに話し合ったほどだったという。二年後には「同じような絵ばかり描いて、こういうことしていていいのか、自分はこれでいいのか」と会社を辞め、旅に出た途中で仙台市の看板屋で仕事を始めた。厳しい徒弟関係のなかで仕事の基本を改めてたたき込まれ、再び小林プロに戻った時には「旅をしてくると、こうも変わるものか」と言われたほど仕事に向かう姿勢が変わっていたという。
 「家なき子」「宝島」「エースをねらえ」「あしたのジョー2」…。その後、マッドハウスというアニメーション制作会社に移ってからは椋尾篁(むくお たかむら)氏のもとで「幻魔大戦」「カムイの剣」「時空の旅人」「妖獣都市」などの背景や美術を担当した。監督であり、アニメーターの川尻善昭氏からは「妖獣都市」での大胆な色彩画面や演出の渋さなど、これまでにない美術の面白さに影響を受けた。
 「いろいろな人のもとで、それぞれたくさんの作品を描けたのが良かった。ずっと同じ場所にいるよりは、毛色のまったく違うところで影響を受けて模索するのが良い効果を生んだと思う」
 そして八七年、仕事を手伝ってほしいと宮崎駿監督から連絡を受けた。


トトロとの出会い

 この仕事は、どうしてもやりたい」
 男鹿さんが阿佐ヶ谷の駅前で宮崎駿監督に初めて会った時、ストーリー・ボードを見てそう思ったという。「火垂るの墓」との同時進行で手薄になった「となりのトトロ」への参加の話だった。
 「これまでの美術のように、漠然とただそこに原っぱがあればいい、というような話ではなかった。監督は『田園風景とか木とか草花とか、そういうものによく目を向けて描いてほしい』と。トトロのすみかであり物語の象徴にもなったクスノキのイメージや森の話を聞いて、それがとてもうれしかった。具体的に考えたことはなかったが、本当はこういう仕事がやりたかった。あの時、巡り会えて良かったですよ」
 男鹿さんの体内にあったあらゆる秋田の景色が眠りから覚めた瞬間でもあっただろう。それまで、いかに速く描き上げるかに追い立てられていた男鹿さんは「何か勘違いをしていたようだ」と振り返る。美術監督を務めた「となりのトトロ」以降、男鹿さんの世界は独自に広がりを見せていった。

漂う空気まで表現

 「ひとつの作品が終わるころになって『こう描けばいいんだな』というのが分かる。毎回毎回がその繰り返し。こういう絵にしたいと悩んで、それが作品ごとに重複していくうちに蓄積されていくものがあるのでしょう。だから、あんまり物分かりが良くなくてもいいんじゃないか。分からないこと、できないことは悪いことじゃない。ゆっくり徐々に自分の中で変わっていっているんだと思います」
 男鹿さんは現在、所属をスタジオジブリから離れてフリーランスで活動している。肩の力を抜いた優しい口調で「そう思ったのは最近ですけどね」と笑う。その姿勢は描き方にも表れている。
 「緻密(ちみつ)な描き方のほうがラクで、リアルな風景にしようとするほど細かく描きがちになっていた。大胆に省略して描くのは難しい。経験と自信がなければ、ね」
 例えば雪。雪があまり降らない地域で育った人は雪を描こうとするという。「そうすれば、じっとりと湿った雪になってしまう。ふわっとした雪に見せるには、描こうとしないことが大切」と話す。また、ブナの森はすがすがしい広葉樹や天上からの木漏れ日が鮮やかに描かれるのに対し、すき間なく覆われた照葉樹林の場合は暗闇の世界を描かなければならない。実際に歩いて、見たこと、肌で感じたことのある人でなければ、景色や風、漂う空気まで表現することはなかなかできないだろう。
 「歩いていなければ見えないものがあるんです。いまの時代、誰でも簡単に遠くに行けてしまう。自分の力でどのくらい遠くに行けるのかというと、それはとても難しい。自分で歩ける範囲のことに目を向けて、それをもっと大事にしてほしい。歩ける範囲でしか物事はよく理解できないんだと思いますよ」
 「もののけ姫」のシシ神の森は、深く、険しく、恐ろしい。闘いが終わりシシ神の怒りが収まると、荒れ果てた大地に緑がよみがえっていく。森に芽吹いていく草花は、まるで秋田の初夏の景色の中を歩いているような鮮やかさだ。

(2005.6 Vol52 掲載)

おが・かずお
1952年大仙市(旧太田町)生まれ。高校卒業後、上京してデザイナー学校に入学。72年からアニメーションの美術に携わる。「ド根性ガエル」(TV)「侍ジャイアンツ」(TV)「パンダコパンダ雨ふりサーカス」(劇場)「はじめ人間ギャートルズ」(TV)「家なき子」(TV)「あしたのジョー2」(劇場)「幻魔大戦」(劇場)など数多くの美術、背景を手掛け、「はだしのゲン」「妖獣都市」で美術監督。88年「となりのトトロ」以降、「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「もののけ姫」とスタジオジブリ作品の美術監督を務める。著書に『男鹿和雄画集』、画文集『第二楽章』(吉永小百合編)、絵本「ねずてん」(山本素石原作)がある