全日本アニソングランプリでの優勝から3年。27歳で果たしたデビューは「遅咲き」といわれたが、いまだからこそ歌える歌、伝えたい思いがあった。
伸びやな歌声、力強いパフォーマンス、歌詞に込める熱い思い。アニメがつくり出す無限大の世界観を言葉に乗せて、ステージ上を駆け巡る。
アニメに没頭
「音と記憶のリンクってすごいんです。例えば最終回のあの場面で、あの曲が流れて…って。記憶に残るシーンには、必ず心に響く音楽がある」
そんなアニメソング(通称アニソン)に惹かれたことに理由はない。いつの頃からか、ただ当たり前のように没頭していたのがアニメの世界だった。
「アニメや特殊撮影が子どものころからずっと好き。友達とは鬼太郎ごっこ、ビックリマンごっこ、トトロごっこ…そんな遊びばかり。幼稚園の裏山でジャンケンで配役を決めて、妖怪になったり、十字架天使になったり、スーパーマリオになったり。あるいは、なりきりナウシカ、なりきりパズーでした。小学校の低学年のころは、本気で自分はエスパー魔美だと信じ切っていて。かなり妄想の人でした」
アニメや特撮を別世界と思うこともなく、日常的にのめり込んでいた少女はアニソンにも当然のように熱中した。
「キャラクターになり切るだけでは物足りない。主題歌だけでなく全ての場面の曲を歌って、アニメの全てを再現したかった。その世界観を自分のものにしたかったんです」
プロデビューを夢見ていた高校時代、CDで聴くマライア・キャリーを教師に1日6時間は歌った。プロのレッスンを受けることもなく、朝起きて歌い、学校から帰ってからも歌い、模索しながら歌い続けた。
「うまくなりたくて歌うのではなかった。ただ歌いたくて歌う。それだけでした」
諦めた夢を追う
高校在学中と卒業後に計3回受けたオーディションでは、いずれも最終選考に残った。だが毎回、最後に名前を呼ばれることはなかった。「上手に歌おうとするばかりで、人を引きつけることができなかった。思いを届けるように歌えない。私は、自分の中で内向きに歌っていました」と振り返る。プロになる夢を諦め、秋田で就職した。
「会社員生活を送る中で好きな歌を歌うのは、カラオケのときぐらい。諦めたと言った手前、アニソンへの思いを口にすることはほとんどなかった。でもその頃始まったプリキュアシリーズを見ては『いいなぁ、いいなぁ』と、うらやましくて。やっぱりアニソンを歌うのが一番、楽しかった」
転機が訪れたのは26歳のとき。全日本アニソングランプリを知ったのがきっかけだ。プロデビューが約束されている大会が始まったことに、「きたっ!」と胸が躍った。
覚悟を決め、会社を辞めることにした。すべてを賭けるために始めた準備を友人たちがバックアップした。内側に向かってしまう歌い方を、どうすれば外側に向けて発信できるのか。どう見せればいいのか、どうすれば聴く人に思いを届けられるのか─。クラブイベントで歌わせてもらっては、友人たちにアドバイスを受けた。
臨んだ最終選考に選んだ曲は「創聖のアクエリオン」。決して得意なわけではない難曲に決めたのは、友人たちのアドバイスがあったからだ。うまく歌える歌ではなく、思いを伝えられる歌だった。
「1万年と2千年前から愛してる。8千年過ぎたころからもっと恋しくなった。1億と2千年たっても愛してる…。そんな歌詞が、まさに私の心境でした。すべてを賭ける私をみんなが応援してくれて、感謝の気持ちでいっぱいだった。そういう歌を歌わせてもらえる私は恵まれています。歌詞の意味を言葉に乗せて、気持ちを込めて歌いました」
アニメブームに乗って
デビューしてからの生活は目まぐるしい。JCBホールや横浜アリーナなど大舞台でのパフォーマンスのほか、フリーランスだった当初は自主企画することも多かった。AKITAアニソン大運動会(NHK秋田放送局)をはじめ、秋田でのライブも数多い。デビューして変わったのはそんな環境だけではない。自分自身が変わったのだという。
「デビューできて、この10年は決して無駄ではなかったと思えました。ゆっくりだけれど、支えられながらも、ちゃんと進んできたんだと確信できた。だいぶ卑屈だった私が、独りよがりではなく自分の思いをきちんと伝えられるようになったのは、みんなのおかげでデビューを果たせたから。10年たって、いまだからこそ自信を持ってステージに立って、歌詞に乗せて思いを届けられるようになった。素直に『ありがとう』と伝えられるようになった気がします」
日本アニメブームに乗って、最近は南米や中国などで開催されるイベントにも出掛ける。
「海外ではアニソンイベントに飢えていて熱気がすごいんです。いまはアニオタ(アニメオタク)であることがステータスと言う人もいるほど。アニソンの大御所さんたちが間口を広げてくれたおかげで、恵まれた環境で歌うことができるんだと思います。アニメを見て、聴いて、楽しんでほしい。そのために、ライブではお客さんの目を見て歌います。曲の中に入り込んで歌うのではなく、届ける人がいるんだということを大切にしたいから」
可能性は無限大
さまざまな人が関わり、思いを込めてつくり上げられた作品から生まれるアニソンは、歌い手にとっても特別なものだ。
「アニメ作品は、見た人の心にずっと残っていく。アニソンもそんな作品と連鎖して、記憶の中にずっと残っていく。リアリティーのないアニメは、どんなことも起こり得る世界。だからこそ可能性は無限大。無限大の世界の、さらに無限大の歌を歌えるのはとても幸せなこと。アニメがあるからこそ、かなわない夢はない」
大きな夢は、還暦ライブ。「ずっとアニソンを歌っていたいから」とはにかむが、目下の目標は「秋田のラジオでレギュラー番組を持つこと。秋田県民会館でライブをすること」という。全国、あるいは海外でライブをしながらも、デビュー直前まで暮らした秋田への思いは強い。
「アニメを愛する人を都会に負けないくらい秋田でもっと増やしたい。秋田のアニメ熱を大きくする先駆者になれたらいいな。私がアニメとみんな、あるいは秋田と他の都市とを結ぶ架け橋になれたらうれしい」
かなわない夢はない。それを証明する挑戦は続く。
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